神が、人となる理由?
2016年5月31日
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
ヨハネによる福音書1章14節
ネットで、ある人が次のようなことを言っていました。「神がいるなら、なぜ神は人間が破壊的になるのを放って置くのだろうか?」「ぼくが神なら、そんな人間は全員滅ぼしてしまうのに!」「滅びていないところを見ると、神は存在しないんだ!」
新約聖書を書いた一人であるペテロさんは、次のように言っています。
「神は、いつか必ずさばきに来られます。そして、その約束の日を遅らせているのではありません。」「かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(Ⅱペテロ3:9)
ペテロさんによると、さばきの日がまだ来ないのには理由があって、「神はそれまでに一人でも多くの人たちを救いたいのだ!」と言っています。
つまり、【救う】とは、神があなたを大きな愛で愛しておられることを聞き、その知らせを信じ信頼し、神との喜びに満ちた関係の中に永遠に迎え入れることを意味します。
あなたが神なら、どのように人間との関係を回復させようとしますか? まず、神はどのようにあなたに、御自分を現わされるでしょうか?
アメリカのあるところに、地元新聞の編集者がいました。彼は、クリスチャンではありませんでしたが、クリスマスイブになるとクリスチャンの奥さんと子どもたちと一緒にイブの礼拝に行っていました。
あるとき彼は、「神が人間になった」という考え方に対して拒否感を抱くようになりました。それなのにも関わらず、自分が教会に行く矛盾に対して「偽善」として捉えるようになりました。そして、ある年のクリスマス、彼は妻の招きを断り、静かに読書をして過ごすことにしました。
暖炉の前で読書を始めると、外で「バーン」という音がしました。窓から外を見ると、小鳥が納屋の窓にぶつかるのが見えました。小鳥が、その行動を繰り返し止めようとしないので、納屋に行って電気をつけました。小鳥が、その電気の明かりを見たら、その行動を止めるのでは?と考えたからです。しかし、小鳥は一向にその行動を止める気配はありません。
彼が小鳥を見ると、小鳥のからだに血が見えました。「ああ、自分を傷つける行動を取るなんて、なんて愚かな小鳥なんだ! 自分が小鳥になって伝えられたなら!」と思ったその瞬間、彼の思いの中に一筋の光が走りました。そして、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」という聖書のことばが理解できたのです。
彼は、神が人間になって、人間が理解できる言葉を話し、神について知らせなければ、人間は神を完全に知ることはできないことを理解したのです。
神は人となって、人が破壊的な生き方から脱出して、建設的に生きることを助け導くために来られたのです。それが、イエス・キリストです。つまり、【救い】とは、神は実際に存在しておられ、神があなたを大きな愛で愛しておられることを知ることから始まります。
神は、あなたに、人となったイエス・キリストを通して、大きな愛であなたを愛しておられる事実を伝えたいのです。神であるキリストが、十字架で私たちの罪のために血を流すことによって、大きな愛を示されたのです。
つまり、私たち人間は、自分に都合のよい善悪の基準に従うことによって、善悪を完全に判断される神を否定しているのです。それが罪です。しかし、あわれみ豊かな神は、あなたと私を赦して愛する子として迎え入れるために、ひとり子イエス・キリストを私たちの罪のための犠牲とされました。
あなたが、その事実を知って、信じたとき、神の大きな愛によって与えられる神との喜びに満ちた関係の中に永遠に迎え入れられるのです。
イエス・キリストを知りたいとは思いませんか?
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