どんなメッセージ?

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  聖書のメッセージで一番大切なもの

神は、ひとり子を与えるほどに、あなたを愛しておられる

これほどの犠牲を払うほどに、神は、あなたを愛する子どもとして、ご自分との親しい関係の中に招き入れようとしておられます。

聖書は、私たち人間が神との新しい関係の中に入るためには、神との関係に調和するように新しく生まれ、心が変えられる必要があると宣言しています。

人間の内側が新しく変えられ、新しく生まれるのは、神のことばによります。以下にペテロが書いているとおりです。

あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。(Ⅰペテロ1:23)

ペテロはさらに続けて次のように言っています。「『しかし、主のことばは、永久に変わることがない。』とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです」(Ⅰペテロ1:25)

礼拝などで語られるメッセージとは、メッセンジャーが語りたいことを語るのではなく、神があなたに語りかけていることを伝えるものです。聖書は、神のメッセージで満ち溢れています。神が、あなたや私に何を語りかけようとしておられるか? これが礼拝などで語られるメッセージで一番大切なことです。

神は、ひとり子を与えるほどに、あなたを愛している!

聖書は、「神は愛です!」と宣言しています。

さらに聖書を読むと、【神の愛】は広く、長く、高く、深いと、宣言しています。

一方で、聖書は、人間の中にはどれだけ【神の愛】がないかについて明らかにしています。

この【神の愛】は、神からだけ出ています。【神の愛】がないがために、人間同士のトラブルが起こる例は、聖書の中では枚挙にいとまがありません。

もちろん、人間の中にもある種の愛はあります。男女の愛、親子の愛、親友同士の愛などは、人間の心の中にも認められるものです。ギリシヤ語は便利なもので、愛を四種類に分けて表現することができます。1)男女の愛をエロス、2)親子の愛をストラゲオ、3)親友愛をフィレオと表現しています。そして、4)【神の愛】をアガペと言うのです。

この神の愛である【アガペ】は生まれつきの人間の中には存在していない!と聖書は言っています。

逆に、キリストは【神の愛】に満ちあふれた存在でした。神は、この間違ったところが一つもないキリストを、【神の愛】がない私たち人間を赦し、受け入れるために遣わされたのです。


それは、人間関係を正しく生きることのできない私たちのためです。素直な心で聖書を読むと、自分では正しいと思っていた生き方が、ずいぶんと間違っていることに気がつくはずです。

私とあなたの内側に【神の愛】は見当たらず、それゆえに自己中心で間違った生き方をしていることを認めるなら、また、正しく生きるために神に助けを求めるならば、神はその罪を赦し、ご自分の子どもとして迎え入れてくださいます。キリストは、そんなあなたと私を赦して、愛して、祝福するために遣わされたのです。

イエス・キリストは、人間の罪(神が決められたことに逆らうこと)のため、また自分の罪を認めない者の上にとどまる神の怒りを身代わりに引き受けるために十字架の上で苦しんで死なれたのです。

私とあなたの【神の愛】がない間違った生き方、その罪を負って死なれたキリストを信じるなら、神はその人を愛する子どもとして永遠に受け入れてくださいます。

また、神との関係が回復され良好にされるに従って、人との関係も良好になっていくと、聖書は宣言しています。


御子イエスを信じる者が、永遠のいのちを持つ

聖書には【永遠のいのち】を以下のように定義している箇所があります。

  • 御父なる神と、御子イエス・キリストを知ること。「永遠のいのちとは……まことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストをしることです」(ヨハネ17:3)
  • 御父の命令。「わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています」(ヨハネ12:50)

 →御父の命令とは

a)御子イエス・キリストの御名を信じること

b)キリストが命じられたように、互いに愛すること

  1. イエス・キリストご自身。「この方(キリスト)こそ、まことの神、永遠のいのちです」(Ⅰヨハネ5:20)

キリストは次のように言われました。「あなたがたは、聖書の中に【永遠のいのち】があると思うので、聖書を調べています。その聖書(旧約聖書)が、わたしについて証言しているのです」(ヨハネ5:39)

つまり、キリストを知ることは永遠に生きておられる父なる神を知ることになり、キリストを信じると、【神の愛】に満ちた関係の中に永遠に迎え入れられて生きることになると、聖書は言っているのです。

そして、キリストが命じられたように、互いに【神の愛】を求めて愛し合うならば多くの実を結び、神の国に迎え入れられるのです。そのために必要なことならば、神は何でも与えてくださいます。聖書が次のように言っているとおりです。

「神の国は、……神の国の実を結ぶ国民に与えられます」(マタイ21:43)

「……あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです」(ヨハネ15:16)


それは、御子イエスを信じる者が、ひとりとして滅びることがないため

イエスの弟子ペテロは、次のように言っています。「主は……あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(Ⅱペテロ3:9)

神は、誰も滅びることを望んではおられません。逆に、御子イエスを信じて永遠のいのちを得て欲しいと望んでおられるのです。

【滅び】の反意語である【永遠のいのち】。この言葉の重要な意味の中の一つは、【父なる神の命令】です。

ヨハネは、手紙の中で次のように言っています。「【神の命令】とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです」(Ⅰヨハネ3:23)

キリストは、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます」(ヨハネ15:5)と言われました。

私とあなたが神の命令に従おうとするとき、私たちはぶどうの木であるキリストの愛にとどまることになります。次のようにキリストが言われたとおりです。

「もし、あなたがたがわたしの戒め(命令)を守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。……わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒め(命令)です」(ヨハネ15:10、12)

私とあなたが、キリストを信じてキリストにとどまっている限り、私たちは決して滅びることはありません。

「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません」(ヨハネ10:28)


使徒たちの教えを堅く守る

人類史上、最初のキリスト教会は、エルサレムで誕生しました。神は、キリストを知らないと3回も宣言したペテロをあわれみ、彼に神のことば、すなわちキリストの福音を語る力を与えられました。ペテロのメッセージを聞いた人々3000人が、その日にキリストを信じ、悔い改めました。

キリストを信じた者たちが最初何をしていたかを、クリスチャンの医者ルカは次のように記録しています。

「そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き(聖餐式)、祈りをしていた。」(使徒2:42)

【使徒たちの教え】とは、いったい何でしょうか? 以下のキリストのことばから、私たちはその内容を知ることができます。キリストは、使徒たちに次のように命じられました。

「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい」(マタイ28:19-20)

つまり、【使徒たちの教え】とは、キリストが命じられたことを守るようにという教えです。

キリストが命じられた命令の中で、一番大切な命令があります。この命令を守らなければ、キリストの弟子とは認められないもので、それは次のようなものです。

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです」(ヨハネ13:34-35)

つまり、キリストの弟子となるには、あなたと私は互いに愛し合わなければなりません。そうでなければ、弟子として認められないのです。キリストの弟子を作るとは、互いに愛し合う者たちを作ることです。もちろん、人間の力ではキリストの弟子を作ることはできません。

しかし、互いに愛し合うことを守るように教え、教えられた者が互いに愛し合うことを守ろうとするならば、そのとき、その人はキリストの愛にとどまることになるので、多くの実を結ぶことができるのです。

「もし互いに愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです」(ヨハネ13:35)


神の計画(カウンセル)の全体を余すとこなく知らせる

「どんなビジョン?」の中でも述べたことですが、神とキリストの愛を知って、さらに知り続け、その愛に応答するのがクリスチャンの基本です。そうでなければ、神の命令に対しても義務感や強制感を伴って応答することになってしまいます。

クリスチャンは、この基本を押さえた上で、神の計画(カウンセル)の全体を知る必要があります。それは、神との関係を育む上で必要なことです。神は、愛する子どもとして迎え入れた者たちに、さらに神の計画の全体を知らせたいと願っておられます。

一方でパウロは、聖書全体を教えなければ、その教えを聞くべきだった人が受けるさばきに対して、伝えなかった者の責任が生じることになる、と警告しています。

神の計画の全体を余すことなく知らせれば、それは知らされた人たちにとって最大の益になり、教える者がさばきを受けることはありません。以下のように書いてあるとおりです。

「私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。私は、神のご計画(カウンセル)の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです」(使徒20:26−27)

私たちは、「神の計画(カウンセル)の全体を余すことなく知らせる」ことが、クリスチャンの最大の益になることを信じて努めています。

神の計画(カウンセル)の全体を知るには、創世記から黙示録までを知る必要があります。そうでなければ、神の計画(カウンセル)の全体を知ることはできません。

ですから、ジーザス・コミュニティでは、創世記から黙示録までを順々に解き明かしています。そして、神のカウンセル(考え方、態度、行動の指針)の全体を教えることによって、集う方々が霊的に成長することを祈り、願い、仕えています。