奉仕って何ですか?

奉仕って何ですか?

そもそも、なぜ奉仕をするのですか?

キリスト教会に行くと、「奉仕」という言葉を耳にするかもしれません。また、教会に通い始めてまだ日が浅いうちに、「教会のための奉仕や働き」をするように勧められ、戸惑う場合もあるかもしれません。

危ない宗教団体であれば「今月中に5人勧誘してきなさい」とか「月末までに5万円献金しなさい」とか「今年少なくとも3回はセミナー(高額有料)に友人を誘って出席しなさい」とか「イベントのために週40時間奉仕しなさい」などのノルマを押しつけられ、それが奉仕(働き)でもあるかのように思わせられる場合すらあります。

上記のように極端に悪質な例ではなくとも、ある人たちが他者に奉仕することを勧める背後には、色々な動機が存在するのも事実です。そのグループの中心にいる人たちが、自分たちの目標を達成するために他者を利用している場合もあります。

例えば会社であれば、トップの人物が自分の夢の実現にこだわるあまり、社員を「社畜」のように扱うこともあり得ます。しかし、キリストの教会でそのようなことがあってはなりません。

それでは、正当な奉仕や働きのための動機とは何でしょうか? 以下に、キリストを信頼する者にとって、奉仕についての正当な動機づけがどのように得られるかについて説明します。


正当な奉仕と働きのための動機づけ

  • キリストから多く赦されたから、キリストを多く愛し、奉仕したい。

罪深い女性が、イエスを愛して奉仕をしたのにもかかわらず、宗教家に馬鹿にされ、存在を否定されたとき、キリストは次のように言われました。

 「わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」(ルカ 7:47)

  1. 神を愛する者は、神の命令を守り、御心にかなうことを実行する。 

神を愛するとは、神の命令を守ることです。(Ⅰ ヨハネ 5:3)

神の命令とは? 

神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。(Ⅰ ヨハネ 3:23)

つまり、神はあなたをキリストにあって助けてくださることを信じ、キリストの命令である「互いに愛し合う」ことに応答することが、神の命令なのです。

  1. 徳(キリストの性質・品性)を高めるために行なう 

信仰者の内側に住んでおられるキリストの性質・品性を高め合うために奉仕する。

あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。(Ⅰ コリント 14:26) 

以上のような正当な動機づけが得られていない成長段階で奉仕をすると、神に仕えることに喜びを感じることができません。むしろ、強制感や義務感が伴うので疲れて燃え尽きてしまいます。

一方で「自分の才能や器量を認めさせよう」という自己顕示欲が動機で奉仕を始める場合があります。あるいは、「他の人がやっているのに自分がやらないと、周りの人たちにどう思われるかなあ」と、人の目を恐れることが動機で奉仕を始めることもあります。

不純な動機で奉仕する限り、神と神の民に仕えることに喜びを感じることはできません。大切なのは、あなたが喜んで神と神の民に仕えることができることです。


キリストの喜びが、自分の喜びとなるために奉仕をする

喜んで奉仕をするには、以下のことを理解する必要があります。

キリストは、私たちの忠実さを評価される方です。才能や器量は決して悪いものではありませんが、キリストはそれらを評価されることはありません。それよりも、忠実さを評価されるのです。そして、そこにこそ喜びの秘訣が隠されているのです。

聖書には、キリストが3人のしもべにそれぞれ違う額のお金を預け、仕事を任せるというたとえ話があります。キリストは、5タラント預けて奉仕を任せた者に対しても、2タラント預けた者に対しても、同じ評価をなさいました。

「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、わたしはあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」(マタイ 25:21,23)

つまりキリストは、任せた奉仕の大きさで評価されるのではなく、任せたものに忠実であるかどうかだけを見ておられるのです。もし私とあなたが忠実であれば、さらに多くの物を任されることになります。しかし、それさえも、私たちの目指すところではありません。目標は、キリストの喜びを、自分の喜びとして味わうことなのです。

以上のような動機で奉仕をする限り、疲れたり、燃え尽きたりはしません。あなたが喜んで神と神の民に仕えることができることを、私たちは願っています。


奉仕についてのアドバイス

イエス・キリストは「小さなものに忠実だったから、多くのものを任せよう」と言われました。大切なことは能力ではなく、小さなことでも任されたら行なう忠実さであるとイエスは言われているのです。

また、奉仕をする兄弟姉妹が、人間に応答するのではなく、キリストに応答できるようにと心がけています。なぜなら、報いは人間からでなくキリストから受けて欲しいからです。

ですから、焦って奉仕をしたり、嫌々ながら奉仕をする必要はありません。また、自己評価を求めて奉仕したり、他者の目を恐れて奉仕をする必要もありません。キリストから愛されていることを理解し、キリストの愛に応答することを奉仕の土台としてください。

さらに奉仕を勧める側の牧仕やスタッフや「古株の教会員」も、人をグループに繋ぎ止めることや、人員補充だけを目的として奉仕を割り当てたり任せてはならないのです。よく自分の心を見張る必要があります。

「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言 4:23)

聖書は、キリストを愛して、兄弟姉妹の徳(キリストの性質・品性)を互いに高め合いなさいと命令しています。それこそが奉仕の核心です。その命令を理解する力が与えられますように。

神の命令を、義務や強制として感じるのではなく、神の命令を守ることは神を愛することを理解する力が与えられますように。

一方で、私たちが完全になってから奉仕をするのでは、永遠に奉仕をすることはできません。お互いにの成長に仕え合うことに参加しようという思いと、キリストにあって、神はそれを助けてくださると信頼して奉仕に踏み出すことができますように! 

どんな小さなことでもキリストが言われることに忠実に応答するなら…

「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、わたしはあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」(マタイ 25:21,23)

…と主イエスが言ってくださるです。

そのとき、主イエスからの報いはあなたのものです。

神があなたに、主イエスの喜びを与えてくださいますように、祈ります。


ジーザス・コミュニティから出た人たちの働き

1.私たちの教会を通して救われたり、成長した人たちが始めた働き

◉久米島で神のことばを伝え、キリストのからだを建て上げている働き
 (木下 千尋さん&ふき子さん)
久米島希望が丘キリスト教会 http://kumejimahhc.com

2.クリスチャン宣教団体のスタッフ、長年JCで交わってから信仰で踏み出したカップル

◉ 天むすさん
https://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/stepped-out/302-take

◉ ういろうさん
https://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/stepped-out/303-uiro

3.私たちのグループが始めた働きに賛同した人たちが引き継いだ働き

◉石巻市で始めた救済支援活動によって生まれた働き
(リッチさん&恵美子さん)
カルバリーチャペル石巻 http://jscafecci.jp/ja/