市原 康 (JAZZドラマー・多摩)

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なぜこの教会にしたの? (遠方でJCのメッセージを聞いている人

市原 康 (JAZZドラマー・多摩)

JCに来たきっかけ

JCのウェブサイトにメッセージライブラリーがあり、そこからメッセージを聞く機会がありました。この教会では創世記から黙示録まで順々にメッセージがされるのです。そのときは、ローマ人への手紙8章を学んでいたのですが、福音が明確に語られていました。自分の中で不明瞭、不明確だった部分を次から次へと指摘されているようでした。それから、その前後のメッセージも聞いてみて、これはとにかく、自分と神との関係を明確にしてくれる、と直感して礼拝に集うことができました。

JCの何がよかったのか

  1. この教会に行くようになって、自分自身の中に福音というものの輪郭が明確になってきたという変化が起こった点です。
  2. 過去に聞いていた福音のメッセージを、自分のことばで言い表わせるようになってきました。
  3. 神の前に出るのに全く相応しくない者にさえ与えられた救いと恵みというところに常に焦点が当てられています。自分の中で、キリストの土台が、しっかりしてきているように思います。

JCの推薦できるところ

  1. 上記の良かった点と関連しますが、とにかく基本姿勢が常にキリストに向けられていると感じられる点です。牧者も、自分が弱さを持つ人間で、失敗する可能性が常にあるという認識をはっきり持ち、そのことについて祈りが必要であることを自覚し、キリストのからだであるメンバーにそのための祈りを求めています。そこに安心感を覚えます。
  2. あくまでも、神とその愛を深く知るというテーマが常に流れていて、互いにキリストの性質を高め合うことが奨励されています。
  3. そのためには失敗の可能性も含めてメンバーひとりひとりが自由に神やみことばについて語ることになるわけですが、それを自由に積極的にできる雰囲気があります。これは当たり前のことだと思うのですが、実践できている教会は意外に少ないように私は感じています。そういう点もJCをみなさんにお勧めできるポイントなのではないかと思っています。
  4. JCは若者から老人まで、熱心に神とみことばを求める人たちの集まりです。
  5. この教会では牧者を先生と呼ぶと罰金を取られることになっています。(笑) キリストのからだというひとつの秩序の中で牧者を霊的リーダーと認め、その上でその人を「先生」と呼んだり「師」と呼んだりはしません。これは聖書に完全に合致します。
  6. 神のことばのひとつだけを取って人間的な考えを推し進めるという過ちを、警戒する姿勢が明確であることもお勧めできるポイントの一つです。
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