身寄りのない者に施すのは、神に貸すことだ 

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人間が、神に貸しを作ることはできるのか?

2021年11月11日

身寄りのない者に施すのは、主に貸すことだ。
箴言19章17節

(クリスチャン新聞11月24日号に掲載の記事)

この聖句を読むまでは、人間ごときが、宇宙を造られた神に何かを貸すことができるとは考えていませんでした。


ローマ軍の百人隊長コルネリオは、支配地のユダヤ人たちに親切にしていました。彼はいつも、貧しいユダヤ人たちに施しをしてたのです。するとある時、御使いが現われて次のように言いました。「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。」(使徒10章4節)異邦人のコルネリオを、神は覚えておられました。彼が、祈っていたから、そして施しをしていたことが覚えられていたのです。

キリストは次のように言われました。「最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25章40節)

この最も小さな者とは…

  1. 飢えて
  2. 渇いて
  3. 宿がなく
  4. 着る物がなく
  5. 病気で
  6. 刑務所に入っている者たち

上記の人たちを指しています。

その上に、身寄りがなければ、神は、その善行を決してお忘れになることはありません。それだけでなく、神はその善行に報いてくださるのです。


キリストは、最終的には、最も小さな者に以上の6つをした者たちを羊として認め、ご自分の右側に置いてくださいます。もちろん、父なる神の子どもとして永遠に迎え入れられる救いは、キリストの大きな御業にだけに拠り頼む必要があります。一方で、一旦、愛されている神の子どもとなったのであれば、神は良い行ないに歩むようにご自分の子どもとして、私とあなたを迎え入れられたのですから、良い行ないをも準備してくださっているのは明らかです。パウロは、次のように言っています。

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ2章8~10節)

これを読むと、神との関係が与えられるのは、信仰によると書いてあります。一方で、神の子どもになったのであれば、良い行ないに歩むのは当然のことだとも書いてあります。良い行ないに歩むために、その良い行ないを準備してくださっているのが、私たちの父なる神です。

身寄りのない者に施すのも、良い行ないの一つです。そうすれば、人間である私が、神に貸すことができるのです。なんとスケールの大きな素晴らしことではないでしょうか。あなたも、私もますますその道を歩むことができますように!

あなたのために祈っています。

ジーザスコミュニティ国分寺
牧仕:桜井 知主夫

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