VISION
私たちが祈り求めるビジョン
私たちの教会は、以下のようなビジョン(目標)を持っています。
- キリストにある神の愛を知り体験する。
- キリストの愛を知り体験し続けて、キリストに応答し続ける。
- キリストを愛して、応答して、従って、互いに愛し合う。
- 私たちを通して、愛する関係が広がっていく。
- 神の力と聖霊の働きによって、また、私たちが祈り求めることによって、以上が成し遂げられるのを見、体験する。
- 神にすべての栄光が帰る。
私たちのビジョンについて読まれた方で、さらに私たちの【奉仕】や【集会】について知りたい方には分ち合うものがあります。それは、【奉仕】と【集会】について聖書に書かれている原則を現場で試行錯誤して実践して来たプロセスで学んだことです。お時間があるときに以下のボタンをクリックしてお読みください。
ビジョン1.神の愛を知り体験する
ある人を心から信頼するには、その人のことをよく知らなければなりません。よく知りもしない人を信頼するのは愚かなことです。同様に、キリストを信頼できるかどうか判断するにも、キリストについて知る以外には方法はないのです。
キリストについて知るには、聖書を読むのがいちばんです。ただし、聖書は普通の書物とは違い、予備知識なしに読んでも理解することが難しい本なので、最初は知識のある誰かに説明してもらう必要があります。新約聖書に出てくるエチオピアの財務大臣は、一人で旧約聖書を読んでいた時に、読んでいるものの内容がわかるかと問われ、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と答えています。
聖書の中には、次のような言葉があります。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」。そして、キリストについてのみことばは、キリストがあなたを愛しているということと、その愛は信頼に価するということを語っています。
新約聖書の3分の1を書いたパウロは、「よく考えてから信じる」と言っています。よく聞いて、よく考えて信じることが私たちの目標です。
よく聞いて考えて信じようとする人たちのために、キリストは次のようにキリストの羊の牧者たちに命じられました。「わたしを愛するなら、わたしの小羊と羊を養い世話をしなさい」(ヨハネ21:15-17) 神のことばで、キリストの羊を養い、キリストの愛によって世話をするのが、私たちのビジョンです。
ビジョン2.キリストの愛を知り続け、応答し続ける
自分に害を加えるような人とは、関われば関わるほど被害が大きくなるので距離を保とうとするものですが、自分を愛してくれる人に対しては、自分も愛を持って応答したいと思うものです。
キリストが人々に良き知らせを伝えていた2000年前、ある町に罪深い女(恐らく売春婦)がいました。彼女は、人間の罪を赦してくれるキリストについて聞き、聞けば聞くほどに、キリストが彼女の罪を赦してくださることを確信しました。そして、キリストに会いに行き、罪を赦していただいたのです。
彼女は、自分の罪の深さを知っていました。しかし、どんなに深い罪でも赦してくださるキリストを信じたのです。そして、そのキリストの愛に対して、自分の側からも愛を示そうとしました。彼女は、キリストの足を自分の涙で洗い、髪の毛で拭い、何百万円もする香油を塗り、何度もキスをしました。
そのとき、キリストは次のように言われました。「わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません」(ルカ7:47)
自分がどんなに多くの罪を赦されたかを悟ったこの女性は、売春から足を洗い、キリストの愛に応答して、キリストの言葉に従って生きるようになりました。
このように、キリストの愛と赦しを知る者は、自分もキリストを愛そうとするようになります。キリストの12弟子の1人であるヨハネは次のように言いました。「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません」(Ⅰヨハネ5:3)
では、神の命令とはどんなものなのでしょうか。これについてはビジョン3で詳しく述べますが、一言で言うとそれは「互いに愛し合うこと」です。
ビジョン3.キリストに応答して、互いに愛し合う
12弟子の一人であるヨハネは、次のように言いました。「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」(Ⅰヨハネ4:9-11)
これが何より大切な神の命令であることを、ヨハネは次のように簡潔にまとめています。「神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです」(Ⅰヨハネ3:23)
私たちのビジョンは、キリストの愛のうちにあるこの神の命令を守ることです。キリストご自身も次のように言われました。「あなたがたに新しい戒め(命令)を与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ13:34-35)
聖書の中でよしとされていることをすべて実践できていても、そこに神の愛がなければ全く無意味だと聖書は言っています。
たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛【アガペ】がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛【アガペ】がないなら、何の値うちもありません。また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛【アガペ】がなければ、何の役にも立ちません。(Ⅰコリント13:1-3)
その命令は、重荷とはなりません
このように、聖書は繰り返し、互いに愛し合ことこそ神の命令であると述べています。しかし、この命令は、実は人間の力だけでは守ることはできないのです。たとえば、あなたの嫌いな誰かを思い浮かべてみてください。その人をも愛することを考えてみれば、その途端に、この命令は人間の力だけでは実効不可能であることを悟るでしょう。
キリストは次のように言われました。「わたしが愛したように、互いに愛し合いなさい。」この愛は、ギリシャ語で【アガペ】といって神の愛を指しています。人間の内側には、このアガペは存在しません。
ギリシャ語には【アガペ】の他にも「愛」を表す言葉が幾つかあって、例えば男女の愛のことは【エロス】と言います。また、親子の愛は【ストラゲオ】、友人間の愛を【フィレオ】と言います。
人間の中には、【エロス】も【ストラゲオ】も【フィレオ】もありますが、【アガペ】という神の愛だけは存在しません。この愛は、あなたに敵対する人にも良くするような愛です。嫌いな人にも良くするような愛です。この神の愛で互いに愛し合うのは人間には不可能なことなのです。もし、それができるなら、この世界には不和や憎悪、家庭崩壊や離婚、分裂や分派、紛争や戦争はないはずです。
しかし、神の愛に応答して、神の命令を守ろうとする人たちには朗報があります。神は、キリストの命令を守ろうとする者たちを必ず助けると約束しておられるのです。互いに愛し合うことを追求しようとする者に、神は必ずその力を与えてくださいます。
恵みを理解する者は、神に助けられる
「こんな私であっても、神は助けてくださる」ということに合点がいかなければ、求める心も弱くなります。神の恵みを理解できなければ、「キリストのすべての命令は難しすぎる」と感じて心も折れてしまいます。逆に、自分の力で神の命令を守ることができると過信する人は、神からの助けを受けることができません。
神は、良いものを受けるのにふさわしくない者に良いものを施してくださいます。それを「恵み」と言います。
恵みの出所は、神の性質です。その性質を完全に現わしたのが、神の御子であるイエス・キリストなのです。私たちはこの恵み深い方、神を愛して命令を守ろうとする者を助けると約束された方、イエス・キリストを信頼して、互いに愛し合うのです。キリストは以下のように言われました。
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ15:5)
実を結ぶとは、神の愛で愛し合う関係が深まり広がることを指しています。それには、「わたしに留まり、神の助けを受け続ける必要がある」とキリストは言われました。キリストに留まるには、神の命令を守る必要があります。神の命令を守るために、神に助けを求める者であれば、神は誰でも助けを与えられるのです。その命令とは、キリストが愛されたように互いに愛し合うことです。
あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。(ヨハネ15:16-17)
ビジョン4.私たちを通し愛する関係が広がって行く
この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。(コロサイ1:6)
福音とは、天地を造られた方、神の御子が私たちの罪のために死なれ、三日目によみがえられたことを指します。
つまり、私たちと神を隔てる原因であるすべての罪を、キリストが負ってくださったのです。そのキリストを信じるとき、私たちは赦され、神に愛されている子どもとして広く開かれた神の愛の中に迎え入れられるのです。
さらに、三日後にキリストが死者の中から復活されたことによって、私たちにも死んだ後に復活して、キリストとともに永遠に生きる希望が与えられました。また、この地上で生きている間も、今も生きて働かれるキリストの力によって、愛に満ちた神に応答して生きることができるようにされたのです。
「憐れみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこのわたしたちをキリストとともに生かし……キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。……神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです」(エペソ2:4~10)と書いてある通りです。
キリストを信じる者たちを通して神の国が広がるために、キリストはいくつかの命令を与えられました。この命令を守ろうとするときに、神は私たちを助けてくださいます。キリストが遣わされた助け主、聖霊が私たちを通して働かれるのです。この聖霊の働きを見るのが、私たちの切なる願いであり、ビジョンです。
この教会では、私たちのビジョンである神の命令を分ち合っています。興味のある方は、いつでもいらしてください。歓迎致します。また、いつでもウェブから聞くこともできます。